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2005.01.20

上方歌舞伎会新年会レポ・・・その2

 片岡松之亟さんの次に出てこられたのが中村鴈乃助さん。
 鴈乃助さんは上方歌舞伎会の前身"若鮎の会"時代(第1回の昭和55年から10年間)の思い出話をなさいました。
 
 東京では国立劇場の事業の一つとして歌舞伎俳優養成所というのがあり、その卒業生の勉強会・稚魚の会というのがあるねやんか。
 でも大阪にはその頃お弟子さんたちの勉強会がなく、有志5人が集まって、13代目仁左衛門さんが会の名前も付けてくれ、一から指導してくれはったんやそうです。自主公演やからもちろん手弁当やし、仁左衛門さんの嵯峨野のお家まで通ってお稽古してもらわはったそうやけど、その時に奥様がゆがいて出してくれはった素麺がおいしかったそうです。
 
 だいたい弟子というのは師匠の芸を見て勉強するので、どうしても師匠の芝居とそっくりになってくるもんなんです。それが一門のつながりというもんやろうし、古典芸能というもんやと思います。
 鴈乃助さんは仁左衛門さんの教えてくれはる通りに、自分では演じてみせるんやけど、やっぱりどうしても先代鴈治郎風になってしまってるんやそうです。(素人の私の目からはどこがどう松嶋屋風とか成駒屋風なんかはよく判らへんのですけどね)
 それで仁左衛門さんは「どんなに教えても、教えたとおりにやらへん」と鴈乃助さんのことをお気に召さへんかったんやそうです。それがある時仁左衛門さんの娘さんが「お父ちゃん、當十郎見てみ、當十郎はなにやってもお父ちゃんになるやろ、鴈乃助はそれと同じなんやで」と言うてくれはったそうで、それから仁左衛門さんも判ってくれはって、「よかったでぇ」と手を握ってくれるほどになってくださったそうです。
 
 この若鮎の会が10回続いたことが認められて、国立文楽劇場主催の上方歌舞伎会になることができたそうです。
 

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