永山武臣松竹会長
歌舞伎・映画制作興行している松竹の会長・永山武臣さんが亡くなられました。
このニュースを新聞で読んだとき、人間ならばいつかこういう日が来るのは当たり前なのかもしれませんが、さすが会長は仕事をし終えて旅立たれたなぁという感慨と、歌舞伎ファンとしてはこれから歌舞伎界は大丈夫かなぁという心配の二つに気持ちがない交ぜになってしまいました。
一度でも歌舞伎を見に行って番付(パンフレット)を買ったことがある人なら、まず最初のページに永山会長の挨拶が必ず載ってたので、顔写真くらいみたことあるはず。
歌舞伎興行一筋に60年以上勤め上げ、どんな荒波が来ようとも歌舞伎を守り通しはったんちゃうかなぁ。襲名披露興行の口上挨拶の時でも役者さんたちは必ず「永山会長のお許しを得て」って言うてはったと思うんやけど、襲名披露から歌舞伎興行の配役に至るまで、隅々に目を配ってはったみたい。
自分の目の黒いうちにと、南座の改装、大阪松竹座の新装開場、そして毎年のように大きな名題の襲名披露、これから100年の松竹と歌舞伎界の土台を築きはったと思うんよね。そして中村勘三郎、坂田藤十郎という東西二大名題の襲名披露を見届けて逝かはるなんて、まさしく天命を生きてきはったって言うてもええんちゃうかな。
ちょっと聞いた話。ある役者さんがあそこの息子がこの役やるんやったら、うちの息子にはこの役をやらせろと役もめして、配役が落ち着いたんやけど、その配役見て永山会長が「顔見世でこんな子供芝居は見せられない」と、徳三郎さんに急遽役が回ってきて(いつの顔見世で何の芝居かは忘れたんやけど)、12月はすっかりお休みモードで故郷の友達と遊ぶ予定やったのが全部駄目になってしもうたと愚痴ってたらしい(笑)。
確かに関西の歌舞伎興行の一年の締めくくり・顔見世に対する興行側の責任ってものが永山会長にはあるもんね。どんなに役者同士で役もめしても、鶴の一声で収まらしてしまいはる、こんな力を持つ人が今の松竹にいてはるんやろか、それが心配の種。
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