2008.12.04

お詫び状付 ねんきん特別便がキターーーー!!

 昨日のトップニュース。ねんきん特別便を含む郵便物が入ったコンテナが2ヶ月梅田駅に放置されていたあれです。

 他の家族のところに来たのに、なぜ私のところに来ぇへんねやろと思ったら、こんなおいしい結果になったやんか。私は全然怒ってへんよ、反対にブログのネタになってありがたいちゅうねん。

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透明の袋にねんきん特別便とお詫び状がセットされて入ってました。

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「平素は、郵便事業に格別のご高配を賜り、厚くお礼申し上げます。

 さて、この度、弊社におきまして、社会保険庁様から差し出されました大変重要な郵便物を、大阪梅田駅内に2ヶ月以上残留するという事故を発生させてしまい、お客様に多大なご迷惑をお掛けしましたことに対しまして、深くお詫び申し上げます。

 こうした残留事故はあってはならないものであり、今回このような事故を起こしてしまい誠に申し訳ありません。

 今回の事故を非常に重く受け止め、今後は社員および関連会社に対する指導をさらに徹底し、お客様から信頼を得られるよう全力で取り組んで参りたいと存じますので、何卒ご容赦いただきますようお願い申し上げます。」

 だそうです。

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2008.06.22

神戸みゆきさん

 神戸みゆきさん、記憶に残る女優さんでしたよね。

 明るくて、不思議な雰囲気を持っているんだけど、でも演技力もしっかりしていて。 

 私が見た神戸さんは、「仮面ライダー響鬼」の日菜佳ちゃんと「京都地検の女」の事務官見習いの女の子と「マジヨ」。

 この中でも1年間見続けた日菜佳ちゃんが一番印象に残ってるんやけど、トドロキがヒビキさんと一緒に修行に行ってて、弦の鬼なのに太鼓の訓練をさせられることに抵抗があって、東京にいる日菜佳ちゃんに愚痴っぽい電話するやんか。
 そのとき、電話ではトドロキを叱咤激励するんやけど、電話切った後トドロキのことを心配する日菜佳ちゃんの表情がすばらしかったよね。

 響鬼のラストのころに、魔化魍との戦いで傷ついたトドロキのリハビリに付き合おうとするのに、甘えちゃいかんということで日菜佳の付き添いを断るトドロキの元を離れるときの寂しそうな表情も忘れられへん。

 普段は仮面ライダー響鬼という番組でムードメーカー的な役回りで周りを明るくしてたんやけど、ここぞというときにはきっちり芝居してたから、安心して見てられたなぁ。

 「レミゼ」を体調不良で降板してはったの知らんかったんよね。
 突然の訃報、「なんでやねん」としか言われへん。無常の浮世やとは知っていても、こんなに早く。

 日本の演劇界にとって、こんな損失はないんちゃうん。合掌。

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2007.06.21

朝日ソノラマが解散!!

 さっきYahooのニュース見て、愕然としたね。

 朝日ソノラマが経営難で9月末に解散するんやて。詳しくはこちら

 ヒーローヴィジョンどうなるねん!!

 朝日新聞が後を引き継ぐらしいんやけど、そしたらガラっと雰囲気変わってまうってことないかなぁ。ヒーローヴィジョンの雰囲気変わってもうたらどうしよ。

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2006.12.22

岸田今日子さん

 岸田今日子さんと言う名前を村をんなが一番最初に覚えたのは、「大奥」(1968年版)のナレーションやったんよね。再放送やなく、オンエアをめっちゃ眠たいのに見てました。天守閣のアップがドーンと映ってそこに入る岸田さんの声。いかにも大奥と言うのは、私のような下々の者には雲の上の存在っていう雰囲気を醸し出していて、「大奥」のストーリーとか誰が出てたとか言うのは全く覚えてないんやけど、その印象深さだけは記憶の中にくっきりと残ってるんやなぁ。

 ウィキペディアで見たら、この1968年版「大奥」って全52話、春日局から徳川慶喜まで延々とやってたんよね。今から考えると凄いよなぁ。ただ子供心にもワンパターンやなと思わんこともなかったんやけど。

 次に村をんなの前に岸田今日子さんが強烈な印象で現れたのが、「傷だらけの天使」の女社長。まぁ次から次へと無理難題をおさむちゃんに押し付けてたよね。岸田今日子さんに「おさむちゃん」って言われたら、まず断れへん雰囲気もあったし。

 で、「相棒」(第2シーズンの最終回2時間SP)に岸田今日子さんがゲスト出演しはった時は、久々に水谷豊さんと岸田今日子さんの共演が見られるってめっちゃ嬉しかったよね。これからもちょくちょく「相棒」に出て欲しかったのに、残念。

 私が持ってるビデオで岸田今日子さんが出演されているものは「必殺4 恨みはらします」。女元締めの役。「傷だらけの天使」でのイメージが鮮烈に残ってるから、結構映像のお仕事やとこの手の役が多かったような気がするよね。普通のお母さんの役とか見たことなかったような。

 岸田さんみたいな女優さんって、日本にはほとんどいてはれへんから、まだまだ活躍の場はあったのにねぇ。日本演劇界にとって、かなりのダメージになるなぁ。 合掌

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2006.12.17

永山武臣松竹会長

 歌舞伎・映画制作興行している松竹の会長・永山武臣さんが亡くなられました。

 このニュースを新聞で読んだとき、人間ならばいつかこういう日が来るのは当たり前なのかもしれませんが、さすが会長は仕事をし終えて旅立たれたなぁという感慨と、歌舞伎ファンとしてはこれから歌舞伎界は大丈夫かなぁという心配の二つに気持ちがない交ぜになってしまいました。

 一度でも歌舞伎を見に行って番付(パンフレット)を買ったことがある人なら、まず最初のページに永山会長の挨拶が必ず載ってたので、顔写真くらいみたことあるはず。

 歌舞伎興行一筋に60年以上勤め上げ、どんな荒波が来ようとも歌舞伎を守り通しはったんちゃうかなぁ。襲名披露興行の口上挨拶の時でも役者さんたちは必ず「永山会長のお許しを得て」って言うてはったと思うんやけど、襲名披露から歌舞伎興行の配役に至るまで、隅々に目を配ってはったみたい。

 自分の目の黒いうちにと、南座の改装、大阪松竹座の新装開場、そして毎年のように大きな名題の襲名披露、これから100年の松竹と歌舞伎界の土台を築きはったと思うんよね。そして中村勘三郎、坂田藤十郎という東西二大名題の襲名披露を見届けて逝かはるなんて、まさしく天命を生きてきはったって言うてもええんちゃうかな。

 ちょっと聞いた話。ある役者さんがあそこの息子がこの役やるんやったら、うちの息子にはこの役をやらせろと役もめして、配役が落ち着いたんやけど、その配役見て永山会長が「顔見世でこんな子供芝居は見せられない」と、徳三郎さんに急遽役が回ってきて(いつの顔見世で何の芝居かは忘れたんやけど)、12月はすっかりお休みモードで故郷の友達と遊ぶ予定やったのが全部駄目になってしもうたと愚痴ってたらしい(笑)。

 確かに関西の歌舞伎興行の一年の締めくくり・顔見世に対する興行側の責任ってものが永山会長にはあるもんね。どんなに役者同士で役もめしても、鶴の一声で収まらしてしまいはる、こんな力を持つ人が今の松竹にいてはるんやろか、それが心配の種。

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2006.11.30

実相寺昭雄監督

 いつも昼休みにお弁当食べながら、ネットうろうろしてるんやけど、実相寺監督が亡くなられたというニュースに、内心穏やかならずの心境になってしまいました。

 村をんなはガチガチのウルトラマンファンではないのやけれど、去年のウルトラマンマックス(「第22話胡蝶の夢」「第24話狙われない街」)での実相寺監督作品には、何回見ても飽きの来ない面白さがあって、「さすがやなぁ」と唸りましたもんね。

 そして産経新聞大阪版毎週木曜日の夕刊に「実相寺昭雄コレクション」という連載してはるの読むの楽しみにしてたんよね。たまたまその連載の木曜日に聞いた訃報なので、本当に「えぇー、うそー」って感じやったかな。

 この連載、実相寺監督お気に入りのフィギュアやミニチュアの話を中心に書いてはったんやんか。先週の23日は祭日やったのでなかったんやけど、その前は最新作「シルバー假面」について書かれてたり、今日はモーツァルト・テディベアのお話。たまにウルトラマンや怪獣の話も書いてはったなぁ。鉄道関係のミニチュアの話もちょくちょく書いてはったかな。あとは、福助さんの置物のお話とか。

 印象に残ってるのは、ウルトラマンのキャラクター人形を家の四隅に、守り神みたいに置いてはるってのを読んで、おしゃれやなぁって思ったな。

 折角の可愛いミニチュアとかの写真載せてくれてはったのに、紙面の都合でモノクロのページが多かったんやなぁ。日本中の実相寺監督ファンのためにも1冊の本にまとまれへんのやろか。

 実相寺監督の場合、きっとあの世でウルトラマンを一緒に作ってきたいろんな人と再会できて、喜んではるかもしれんなと思ったり。現世に残されてしまった我々には、もうあの独特な映像をみることがでけへんようになって寂しいんやけど。合掌

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2006.03.02

久世光彦さん死去

 昭和のテレビ史を飾る演出家・久世光彦さんが亡くなられたそうです。

 久世さんといえば「時間ですよ」。みんな見てましたよね、このドラマ。天地真理や浅田美代子だけやなく、樹木キリンさんみたいな個性派女優までブレイクしちゃいましたからね。

 実は村をんなの中学生時代からのニックネームはこの「時間ですよ」が由来なんよね。「時間ですよ」が大ヒットしてクラスの男子が私のことをその名前で呼び出してから、気に入ってずーーーっと学年最初の自己紹介のときに自分から、その名前で呼んでくれって言うてました。私のリアル友達もきっとこれで村をんなのニックネームの歴史を知ったんちゃうやろか(笑)。

 特撮的な話題にふれるとなると、555の半田君の所属が久世さんが作られたカノックスやよね。半田君、久世さんの演劇塾で勉強してたいうのをなんかで読んだ記憶があります。

 先日の佐々木守さんといい、久世さんといい、昭和は遠くなりにけりやなぁ。合掌

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2005.12.15

仰木 彬前オリックス監督が!

 今、「今夜ひとりのベッドで」を見てたら、ニュース速報が入って、びっくりしてもうた。

仰木 彬前オリックス監督が、お亡くなりになったそうです。

仰木監督激動の1年間を乗り切って、これからはまた優しい笑顔で野球の解説してくれはるもんやと思ってたのに。

 村をんなは阪神ファンやけど、近鉄沿線に住んでたし、セリーグ・パリーグの枠を超えて、大阪人ならみんな仰木さんのこと好きやったんちゃうかな。

 そういえば、1年間ありがとうございましたっていうオリックスのポスター仰木さんのやり遂げたよっていう優しげなお顔やったなぁ。 合掌

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2005.07.25

杉浦日向子さん 死去

 今日、会社で仕事の手が空いた時にチラッと覗いたインターネットのニュースに杉浦日向子さん死去の文字を見て、「えーーーー!!!」と衝撃にくらくらしてしまいました。

 だって杉浦さんと私は誕生日が1週間しか違わない!!

 テレビでお顔を拝見するくらいの人でも同い年の人が亡くなるってなんかショックでしょ。

 元々私の友達が杉浦さんの漫画が好きで、「風流江戸雀」を一度貸してもらったのがきっかけで私も杉浦さんの漫画の雰囲気に惹かれたんよね。

 でも杉浦さんは自分の筆力では自分が愛している江戸の風俗を描き出すことはできないと、漫画を描くのをやめはったらしいんよね。それがもう残念で残念で。

 唯一私が持ってる杉浦さんの作品は新潮文庫の「百物語」

 うちの母はNHKでやってた「お江戸でござる」の解説大好きやったな。それで突然この春から「道中でござる」になって解説もおじさんになったから「どうしはったんやろう」って思ってたんやて。
 いっつも渋くておしゃれな着物着てはったもんなぁ。合掌。

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2004.07.29

梅田コマが無くなる!!

 今、大阪ローカルニュースでやってたんやけど、阪急が梅田コマを買い取ってオペラなんかも上演できるような多目的ホールに改装するんやて、それで名前も「梅田芸術劇場」に替えるらしいよ。ずーっと赤字続きやったらしい。
 確かに今の劇場オープンした時は「飛天」って言う名前やってんけど、それやと旧梅田コマ劇場を支えてきた団体客のおねぇさま方にあまりなじみが無いということで、「梅田コマ劇場」に戻ってんけど、それでもあかんかったんや。

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