てびねり陶器完成
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今日、寺田町に行った帰りに、大坂夏の陣激戦地をめぐれーっ!!スタンプラリーの最後の場所、四天王寺庚申堂に行くことができました。
たまたま到着したのが午後3時。お堂の中におられた四天王寺の職員の方に、午後3時は申の刻だったそうで、仏縁がありますねと声をかけてもらいました。その方によると、わざわざ午後3時にお参りに来られる方がおられるそうです。
ご本尊に手を合わせた後、台紙にスタンプを押していたら、スタンプラリーのご縁でたくさんの方がお参りに来られるとのこと。スタンプが全部集まったら、記念証がもらえます。職員の方によると庚申堂が最後の方が多いとか。他の5か所に比べると、ちょっと奥まったところにあるので、分かりにくいんです。
それで私も3度目の正直でここに来られたと言うと、庚申堂は見ざる聞かざる言わざるの三猿発祥の地なんで、そこにも縁がありますよねとのこと。
庚申堂を後にして歩きながら、そう言えば今年は申年やん。申年の申の刻にお参りできて、良かったやんと思いつつ、帰ってきました。
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幸村が駆け抜けた大坂スタンプラリー
1、大阪歴史博物館
特別展真田丸が開催されてました。チケットを買うカウンターのところから列に並んでた。結構混んでましたなぁ。中に入ってても列ができてて、なかなか前に進めない。やっぱり大河ドラマの力って凄いです。並んで見てると、私の後ろにいたカップル、どうも女性の方は歴史があまり得意ではないらしく、真田丸も途中から見始めたような話してたり、そうかと思えば小学校高学年くらい女子が父親相手に大河ドラマの話をしてて、こりゃぁ立派な歴女になるなぁと思ったり。そうそうこの特別展でのイヤホンガイドは昌幸役の草刈正雄さん、私は借りなかったけど、贅沢やん。
気が付いたら1時間半もこの特別展を見学してたことにびっくり。なにも調べずに行ってしまってたんやけど、この日、秀次役の新納慎也さんが大阪城前でトークイベントしておられたそうで、ネットニュース見て残念なことしたなと、その頃私は屏風見たり、色んな書状見てたから。400年前の書状がずらっと並んでるの見て、日本人って物持ちが良いよなと思ってもうた。そして長篠合戦図屏風とか大坂夏の陣図屏風に細かく描かれている人々の顔を見ていて、こりゃぁ300年後日本が漫画大国になってもおかしくない下地があったんやと思ったな。
グッズコーナーで夏の陣ウォークラリー関連の資料をまとめるのに、クリアファイルを買ったんやけど、適当に買ったもんやから、あと家に帰って確かめたら長篠合戦図屏風の柄やった。
2、三光神社
大阪歴史博物館で時間を結構食ってしまったので、大慌てで三光神社へ。地下鉄の玉造駅からすぐのところにあって助かりました。
真田幸村像。
3、全興寺
4、志紀長吉神社
3と4は9月に行ってました。去年、産経新聞社主催の大坂の陣!ウォー!キング!でも1回行ってるので、スタンプだけ押して次へ。
5、茶臼山
大坂冬の陣では徳川家康が本陣を置き、夏の陣では真田幸村が陣を置いたところ。今は木が茂っているのでそう見晴らしが良いわけではないんやけど、小高くなってるんで、戦いに絶対に必要な場所やなと確信できました。
ここから一心寺に行く途中に、一心寺存牟堂というところがあり、大坂夏の陣激戦地をめぐれーっ!!スタンプラリーの押印場所でもあるんやけど、そこでは「茶臼山と一心寺 大坂の陣歴史散策案内・存牟堂」というリーフレットが置いて有り、めっちゃ勉強になりました。存牟堂には大坂夏の陣図屏風の陶板複製があって、先ほど大阪歴史博物館でガラス越しに見てきたものを近くにじっくり見ることができたし、真田隊以外の誰がどこにいるのかまでちゃんと書いてあったので、ここは行って損がない場所でした。大阪歴史博物館では真田隊がメインやったからね。
6、安居神社
こちらも9月に行ってました。真田幸村像を見上げてたら、真田幸村はこの場所で何を思って逝かれたんだろうかと思いました。
そこで作った一句・幸村や安居の杜の陰深し
最後に幸村が駆け抜けた大坂スタンプラリー、薄いグレイで印刷されているのと同じ画像の朱色スタンプを押すんやけど、なかなか難しい、ちょっとずれるから、なんか近眼の私が裸眼で物を見てるみたいなブレてる感じになっちゃうという。そして谷町線天王寺駅駅長室で記念品のタオルハンカチをいただいて帰宅いたしました。
幸村が駆け抜けた大坂スタンプラリーと一緒に回ってた大坂夏の陣激戦地をめぐれーっ!!スタンプラリーの方は、真田丸展で時間を食ってしまったため、四天王寺庚申堂でのスタンプがまだ押せてません…。
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大河ドラマ真田丸が佳境に入ってきたところで、大阪でも大坂夏の陣・真田幸村関連のスタンプラリーが始まってます。
まずは大阪市営地下鉄がやってる「幸村が駆け抜けた大坂スタンプラリー」
裏面がスタンプ台紙になってまして、指定された場所に置かれたスタンプと最寄り地下鉄駅のスタンプを集めるもの。
私は志紀長吉神社に歩いて行ける場所に住んでるのでそこから始まり、平野の全興寺へ。そこから四天王寺夕陽丘駅から安居神社へ。
安居神社は真田幸村戦死の地と言われているところで、もう一つのスタンプラリーと重なってるので、社務所でスタンプラリーの台紙を100円で購入。
「大坂夏の陣激戦地をめぐれーっ!!スタンプラリー」
こちらは天王寺中心に回るものです。安居神社→一心寺(25号線を挟んで向かい側)→四天王寺
ここまで回って、くたびれてきたので帰宅することに。
大坂夏の陣激戦地をめぐれーっ!!スタンプラリーのスタンプの図柄、可愛いんですよ。これって自分でスタンプ押して回った方が絶対楽しいので、ここでは見せません。
志紀長吉神社でも全興寺でも幸村が駆け抜けた大坂のリーフレットや台紙をもってる人見かけたんで、ぼちぼち回ってはる方いらっしゃるみたいですね。
後篇は10月に入ってからかな。大阪歴史博物館で真田丸展もやってるころやしね。
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京阪天満橋駅近く、川の駅「はちけんや」から乗車する水陸両用バスで大阪市の中央部を観光してきました。
8月14日お盆休みの日曜日、11時15分発の便は満席でした。はちけんやを出発して、大阪証券取引所前で五代友厚の像を横目に見て、御堂筋を南に下り、本町通を東に、大阪府警を北に曲がり、大阪城や太閤園を見ながら桜之宮公園近辺から大川(旧淀川)へ。
桜宮橋
そして川岸に建つビル群・大阪造幣局などを楽しみ、中之島公園の噴水近くでUターンして桜之宮公園に戻ってきて、そこから陸に戻り源八橋を渡って、天神橋筋を南下してはちけんやに戻ってくるというコースでした。
今回観光した場所は大阪のへそも言える場所で歴史も古く、大阪に住んで、まぁちょこっと歴史好きな私でも知らなかったことをガイドさんが面白おかしく教えてくれます。
このガイドさん、自称キャサリンさん(でも正真正銘の大阪のおばちゃん)のよどみない解説、もうへぇぇぇの連続でした。大阪人なら船場と言えば繊維の街と知っているのですが、それが元々淀川を上り下りする船の船着き場であったことを聞いて驚きました。
そんな話が次から次へと出てくるんですけど、キャサリンさんは難しい顔をして話を聞いてると、バスを外から眺めてる人の印象が悪くなるから、交差点でバスが止まったら道を歩いてる人に笑顔で手を振ってくださいねなんて雰囲気を和らげます。
「なんでやねん」とか「知らんけど」の使い方も教えたり、乗客を飽きさせないように楽しませてくださいました。
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2月22日に行われた真田幸村と大坂の陣戦跡コースも歩いてきました。小雨の中約9.5キロメートル
①志紀長吉神社、実は私はこの志紀長吉神社まで歩いて行ける距離のところに住んでます。だいたい15分くらいかな。なので徒歩で地下鉄谷町線長原駅に向かい受付をし、志紀長吉神社へ。以前勤めていた会社へ行くのに、この神社近くの道を毎日歩いていたのに、ちゃんと訪れたのは初めてでした。ここは大坂夏の陣の時、この神社に赤地に白の六文銭の軍旗と刀剣を奉納して戦勝祈願したそうです。神社にあった説明板によると、戦後刀剣は回収(GHQによる日本の非武装化のため)されてしまったらしく、うぉーそれはもったいないと思ってしまいました。
②真田幸村休息所跡は、普通の民家の間にひっそりと石碑が建ってました。大河ドラマが始まって観光客が大挙して来たら、ご近所さんは大変やろなって感じの場所でした。
長原駅に戻り、地下鉄で平野駅へ。
ここから③大念佛寺へ。大念佛寺は徳川家康が天下泰平・武運長久の祈願を乞うたとのこと。戦いが収束して家康は田園300石を寄進する旨を伝えたが、道和上人は僧侶の求道心が欠如することを恐れ、これを辞退したってマップの解説のところには書いてあったけど、それでも徳川家康ゆかりのお寺やから、立派ででかい。融通念仏宗。
④杭全神社。杭全神社もでかい。平野郷夏祭り(だんじり祭り)は地元では有名で、平野区民の皆さんにとって杭全神社の夏祭りは血が騒ぐどころじゃない大きな年中行事みたいです(私は八尾市民なんで噂で聞くぐらいなんですが)。その有名な杭全神社を見ることができて良かったなと。
杭全神社から平野本町通商店街を通って⑤全興寺へ。このお寺さんは商店街の並びにあり、寺の境内を入ったところに西国三十三カ所のご本尊を現した小さな石仏が並んでいたり、駄菓子屋さんの博物館もあったり。大坂の陣としては、真田幸村が樋尻口の地蔵堂に仕掛けた地雷が爆発し、お地蔵さんの首がここまで飛んできたとか。そういう伝説を持つ首の地蔵尊があります。
全興寺から東へ歩いたところを南に曲がって少し歩いたところに⑥願正寺(真宗大谷派)があります。深手を負った徳川軍の安藤正次がここに送られて療養していたのですが、再起不能を悟り自害した場所。
願正寺から商店街に戻り、東へ歩いて行くと平野公園が見えてくるのですが、ここに⑦平野郷樋尻口門跡と⑧安藤正次墓所が向かい合ってあります。樋尻口門には全興寺のところでも書いたようにお地蔵さんの祠があり、徳川家康がここで休息をとると予測した幸村が地蔵堂に地雷を仕掛けたのですが、爆発する寸前小便がしたくなった徳川家康がこの場を離れたので九死に一生を得たらしい。
大阪市の分はここまでで、平野川沿いに町工場地帯をてくてく歩いて⑨馬洗池跡へ。大坂の陣当時、この辺りは竹やぶや池がたくさん存在してたそうで、徳川軍の兵士がこの地で馬を洗ったり、水を飲ませたりした池があったと伝えられてるそうです。前週に大坂夏の陣は泥との戦いって聞いてましたので、その中を走っていた馬たちもどれだけ泥だらけやったんやろかって思った。馬洗池跡の由来という石碑も普通の民家の前に建てられていて、この石碑を見るために町工場の立ち並ぶ通りを行って帰ってこなければならなかったという。
そして大阪中央環状線を目指して東へてくてく歩き続け、中環上にかかっている歩道橋を渡って⑩真観寺へ。こちらは八尾にある常光寺と兄弟寺だったのですが、常光寺は燃やされずに残ったのですが、真観寺は焼失しました。一説には焼失を免れるためには豊臣・徳川両軍と寺を燃やさないという約束をしなければならなかったんだけれども、真観寺は片方だけしか約束しなかったので燃やされたのではということでした。境内には三好長慶の墓もありました。八尾市に入ったのでボランティアガイドさんの深い話も楽しめるようになりました。
真観寺からJR久宝寺駅を抜けて行くのですが、ぼちぼちこの辺から左足の小指が痛み出しました。たぶん歩いているとき気づかずに左足引きずってるんだと思います。
現在私はJR久宝寺駅近くの会社に勤めているのですが、その会社の構内にはお稲荷さんが祀ってあり月に一度近くの許麻(こま)神社から神主さんが月例祭に来られておられます。ただ私は帰り道が許麻神社とは反対方向なので行ったことがありませんでした。
⑪許麻神社に一度行ってみたいと思っていたので、ウォーキングコースに入っているの見て参加しようと思ったんやな。ここで話をしてくださったボランティアガイドさんによると、徳川家康が2番目に怖かったのは顕証寺を中心とする八尾の門徒衆だったとのこと。1番目に恐れていたのがスペインポルトガルの軍隊だったそうです。大坂の陣で日本中が2つに分かれて戦ってる最中にスペインやポルトガルの軍隊が入っていたら、漁夫の利で日本がスペインやポルトガルの植民地になってたかもしれへんもんね。それでなくても黄金の国って思われてた訳やし。
⑫顕証寺(浄土真宗本願寺派)、久宝寺寺内町の中心となったお寺なのでこちらも大きくて古めかしくていい雰囲気でした。
顕証寺の隣に八尾市まちなみセンターがあり、ここでちょっと休憩させてもらいました。安井道頓生誕の地という石碑がありました。あの道頓堀を作ったと言われてる人です。まさか八尾生まれとは知りませんでした。
少し元気を回復し、久宝寺小学校の脇にある長曾我部物見松遺址を見て(といっても松はちっちゃかったですけど)、⑬大信寺(真宗大谷派)、こちらは午後から法要があるとのことで前を通っただけでした。
⑭は常光寺でしたが、こちらは前週に伺ったのでパスいたしました。
以上が2週目のウォーキング。よく京都ジョークで先の大戦といえば応仁の乱と言われてますが、東大阪・八尾・平野を歩き回って、あちこちに大坂の陣ゆかりの場所が残ってるということは、河内では第2次大戦の前の大戦と言えば大坂の陣やったんやなと。有名な武将でもこれだけ亡くなってるんやから、足軽なんてどれだけ亡くなってるのか。哀しみの地でもあるなぁと思えてきた。
徳川家康がわざわざ河内まで出てきてたってことはかなりの危機感があったんやろか。私が住んでるとこらへんも真田軍とかが通り過ぎて行ったかも。
万歩計の数字は23,893歩でした。
↑左側は参加者が目印に貼っていたステッカー、右側は完歩のスタンプ
3月1日に実施された後藤又兵衛コースは他に予定もあったし、スギ花粉も飛んでるのでパスしました。
母親が羽曳野出身やし、藤井寺とか道明寺とか誉田とか気になったんやけどね。
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歩いてきました、大阪の陣ウォー!キング!!
2月15日(日)は木村重成と大阪の陣戦跡コース。
近鉄奈良線の若江岩田駅を出発。若江岩田駅、普通電車しか止まらないんやけど、私が乗った東花園行では若江岩田駅で8割ぐらいの人が降車して、おぉこんなに参加するのかとちょっとびっくり。
駅前では受付する人でちょっと列ができたりしてたしね。
若江岩田駅前の商店街を南下し、①飯嶋三郎右衛門墓へ。そこから②木村重成陣屋跡。豊臣方武将・木村重成がこの地に陣地を構えたとのことで、現在は住宅街の真ん中にコンクリート製の像がありました。昔は銅像だったそうですが、戦争中に供出されたとのこと。
この辺り一帯は昔大庄屋の土地やったそうで、この陣屋跡もその庄屋さんが守り伝えてたとのことでした。
③蓮城寺、こちらは日蓮宗のお寺さんで境内の位牌堂に木村重成の位牌がまつられていました。旧1万円札に聖徳太子の絵を描かれた先生による木村重成の絵画がありました。
④若江鏡神社。蓮城寺のお隣で、立派な神社でした。こちらの前でボランティアガイドさんのお話が面白く、江戸時代は徳川家の目を遠慮して木村重成の墓などもひっそり守られてきたんやけど、徳川幕府が倒れるとおおっぴらになり、木村重成の墓に参るのが流行し始めたそうです。なのでこの道筋に屋台が並び、飲食物だけやなく、墓前に供える菊とかおまじないの松葉とかが売られてたらしいです。特に菊が売れるということで、この辺りの農家で菊づくりが始まったきっかけやったそうです。ということで現在は真田幸村の方が人気があるのですが、昔は木村重成の方が人気があって芝居や映画にもなってるとガイドの方がおっしゃってました。
それで思い出したのが片岡十二集の「木村長門守血判状」。十三代仁左衛門さんが上演されたのを一度見たことがあって、この芝居のどこが良いんだかと思ってたんですが、重成の墓参りが流行していたという下地があったのならとうなずいちゃいました。(片岡十二集は明治~昭和にかけて活躍した十一代仁左衛門の代表作だそうです。)
なぜ木村重成がこんなに人気があるのかといえば、イケメンである上に二十三歳という若さで戦死しました。陣屋跡のコンクリート像の隣には妻の青柳のお墓もありました。
この後、第二寝屋川を渡って幸第1公園内にある⑤木村重成墓へ。第二寝屋川の開削工事で現在の場所に移されたそうです。川を挟んだ墓地に木村重成と戦った徳川方の⑥山口重信の墓が。このお墓、1648年ごろに建てられたもので、かなり風化が進んでて補強されてました。周りには一般の方々のお墓が所狭しと並んでるんで、ずかずか入って行くのは申し訳ないなと思いつつ見てしまいました。
⑦八尾市立埋蔵文化財調査センターは大坂の陣には全く関係が無いのですが、八尾市民でありながら一度も行ったことが無かったところ。八尾市から出土した土器がたくさん並んでました。
そこから南下して八尾北高校の裏手にある⑧高塚地蔵へ。ここは豊臣方の吉田内匠が地蔵堂の陰から槍を持ってとび出し、徳川方の武将・藤堂式部を襲ったがかえって討ち死にしたという場所だそうです。
この後、近鉄八尾駅近くまで南下し、⑨穴太神社へ。大坂夏の陣で徳川方の渡辺勘兵衛の陣所があったとのこと。そして⑩常光寺。このお寺さんは毎年河内音頭の盆踊りで有名なところ。私も大昔、一度だけ見に行ったことがあって圧倒された思い出があります。
こちらは禅寺でちょっとした枯山水のお庭もあり、奥の墓地には夏の陣で討ち死にした藤堂家七十一士の墓が並んでいました。藤堂高虎が長曾我部家臣の首実検をした廊下の板を天井にした血天井もあります。でも一般の八尾市民でそのことを知ってるのはよほどの歴史オタクな方々だけかもしれません。こういうイベントが無いとなかなか入りにくいですよね、お寺さんって。
常光寺は金地院崇伝の抱え寺として保護されていたから、藤堂高虎は逃げ込めて命が助かったとか。
ボランティアガイドさんの話では、大坂夏の陣とは西軍にとっては泥との戦いだったそうです。5月6日はその季節に珍しく霧が深く視界が遮られていたそうです。ということは前日は雨でも降っていたのでしょうか。当時若江・八尾辺りは低地だったらしく足元が泥にとられ、豊臣軍は依然として刀や槍が主力だったのに対して徳川軍は鉄砲が主力だったそうです。足元が悪い中で走ったり刀や槍を振り回すって通常の力が出せないもんな、それに比べて鉄砲が主力なら絶対有利だと感じました。
以上が木村重成コース約6kmただし私は途中で道を間違えたので1kmほど余分に歩いたかも。家を出てから帰るまでの全歩数は16,798でした。
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かなり自画自賛なんですけど、私が毎年作ってる年賀状、12枚まとめてみるとなかなかいい感じになることに気が付いたんよね。
私が使ってるのはユニセフが毎年売り出してるもの。秋ぐらいにカタログが送られてきて、そこに載っている何種類かの年賀状から、気に入った絵柄に合わせて歳時記とか松尾芭蕉とか小林一茶の句を選んで作ってるんやんか。
さてここに問題が・・・。ユニセフがグッズを直販するのが2013年末で終了しちゃったんよね。今後はユニセフが選んだ企業がグッズを作成販売して、その収益の中からユニセフに寄付する形にするらしく、そうなると来年以降の年賀状はどうなるのか、全く分からないんやな。気に入る絵柄がなかったら、探す手間が増えてまうという。
ちなみに年賀状毎年3パターン作ってるから、年賀状探しからせねばならぬというのは堪忍してほしいんよね。
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久しぶりのバケツ稲づくりネタ。
5月24日
5月31日
6月22日
ぐんぐん伸びました。6月19日に植え替えたんやけど、ちょっと遅目やったかな。11粒くらいあった種籾を植え、その中から茎が太くて背の高いのを中心に7本を選び、3本で1株と4本で1株に分けたんよね。
バケツを買ってきて、前回の残りの腐葉土を入れて植えてあります。そっちの写真は無いんやけども。
通勤中に見かける田んぼの稲の育ち具合が、めっちゃ気になるようになってきた。それと比べると、伸びすぎ感はあるんよね。マニュアルにもバケツやと田んぼよりも温度が上がるんで育ちすぎて軟弱になるって書いてあったんやけど。
そしてもう一つ気になるのが、水たまりがあればそこにはボウフラが湧くやんか。インターネットで検索したら、ピカピカの10円玉を入れよって書いてあったんで、5枚ほど放り込んでみました。最初から作ってたバケツの方には元気なボウフラが泳いでたのが、ちょっと大人しくなったかもって気がしてるんやが、これって気のせいかなぁ?
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うちの家はマルエーさんでお米を買ってるんやけど、4月に注文した時に10粒ほどの種籾をくれました。
ということで、今年はお米づくりにチャレンジすることになったという。マルエーさんのHPに行ってみたけど、少々ざっくりやったので、マルエーさんも頼りにされてるJAグループさんが作っておられる「みんなの良い食プロジェクト」お米づくりに挑戦(バケツ稲づくり)が詳しいねんな、下の方にスクロールしていけば、マニュアル等々揃ってるしね。
まずはバケツ稲づくりマニュアルと指導書をダウンロードし、プリントアウト。
で、バケツ10Lと土を買いにホームセンターへ。土は黒土6,赤玉土3,鹿沼土1の割合で混ぜると書いてあったんやけど、私が行ったホームセンターは黒土20L袋しか置いてなくて、バケツ1つ分しか作らへんのに20Lもいらんしなぁってことで、花でも野菜でも作れて緩効性肥料が既に配合されてる培養土14L買ってきました。
JAさんで米作りセットをもらったら、種籾と肥料とマニュアルくれたらしいんやけど、こっちは種籾だけやからね。そしたら肥料が配合してくれてるほうが安心やん。
今年はGWがちょっと寒かったので、GW明けの頃に、種籾を60度のお湯に10分間つける消毒をしてみました。というても60度を維持できなくて、55度くらいになっちゃったけどね。
そしてペットボトルを切って作った入れ物に種籾を水に浸し、芽出しさせました。
水も種籾が空気に触れるよう、種籾を乾かさないために水がなくならないようという条件があってこの水の量がなかなか微妙。うっかり水がなくなってたことが2回ほどありました。とはいえ、5月11日12日ぐらいは大阪でも気温が30度ぐらいまで上がって、順調に芽が出てくれました。
5月13日の出勤前にビニールに培養土を広げて干しておき、夕食後バケツに土と水を交互に入れて混ぜながら泥状態にして、本当なら1日程度落ち着かせた方がええらしいんやけど、芽が伸びてくるのも気になるので、14日の出勤前に種植えちゃったという。
バタバタしてたんで、種を埋める穴を人差し指で開けていった時、指の関節1つ分ぐらいにしちゃったんやけど、ちょっと深かったかもしれへんな。そして芽を上にして種を蒔き、軽く土をかぶせました。
土の上に芽が出てくる出芽、ちょっと心配してたんやけど、19日午前にチェックしたところ、4~5本、緑の糸みたいなんが出てました。
さてお米づくりレポ、収穫まで行けるんやろか???去年ペットマト失敗したしな。
まぁあまり期待せず、お付き合いくださいませ。
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